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エンジョイ♪湘南暮らし|遊行寺と一遍上人聖絵

遊行寺

遊行寺と一遍上人聖絵

遊行寺

箱根駅伝のファンの皆様なら「遊行寺の坂」とのことはご存知と思います。しかし「遊行寺」については駅伝ほど知られていないかもしれません。
藤沢駅北口から歩くこと15分ほどで、藤沢橋の交差点に出ます。その右手奥に遊行寺本堂の屋根が見えてきます。境川にかかる藤沢橋の風情も相まって、宿場町の情緒が感じられる景色が迫ってきます。
遊行寺は通称であり、正式には「藤澤山無量光院清浄光寺」と言います。開山は俣野(現在の藤沢市、横浜市周辺)の地頭であった俣野氏の出身である、遊行4代他阿呑海上人です。その兄である俣野五郎景平の寄進により正中2年(1325)に創建されました。
一説によると、この藤澤山の号からこの地方が「藤沢」と言われるようになったと言われています。
さて、その遊行寺ですが、時宗の総本山として知られ、現在の法主である他阿真円上人で第74代目となります。現在、他阿真円上人は、100歳です。そのお上人が創刊号の表紙を飾った地元、藤沢“愛”タウン誌「ふじさわびと」の表紙もご紹介。

ふじさわびと

時宗の祖は一遍上人です。

●一遍上人の生い立ち

伝承によると一遍上人は延応元年(1239) に伊予国道後(現愛媛県松山市)に生まれました。水軍を率いる家に生まれますが、内乱により一家は没落、そして10歳で母と死別する悲劇が襲います。そのような状況の中、父の勧めもあって幼くして出家し、浄土宗の門徒となります。伊予の他、大宰府などで学びました。
修業を続けながらも父の死によって一旦故郷に戻り、半僧半俗の暮らしをしますが、再び仏門の道へ導かれるように戻っていきました。そして3年間の念仏三昧の修業を経て、空海ゆかりの岩屋寺での参籠で悟りを得た一遍上人は、文永11年(1274)2月8日、一族と分かれ、すべての財産を放棄し「遊行の旅」に出立します。

●踊念仏の旅へ

念仏こそが往生の道と確信した一遍上人は、人々と念仏とを結び付けるために念仏札を配り歩きました。このことを賦算といいます。一遍上人は、文永11年(1274)に大阪の四天王寺で初めて賦算を行いました。
賦算を行いながら各地を行脚する中で、様々な出来事に遭遇し、行く手を阻まれます。そのエピソードは聖絵に詳しく描かれているところです。一遍上人はその度に苦難を乗り越えていきました。
弘安元年(1278)九州で、後に二祖となる他阿真教上人(1237-1310)と出会います。同行を許してからその人数も次第に増え「時衆」が形成されていきました。
一遍上人は教団を作ろうとはしませんでしたが、その周りには彼を師と慕う「時衆」と呼ばれる人々が付き従っていました。一遍上人は、信州佐久(現長野県佐久市)で踊り念仏を始めました。当初、これは意図的ではなく自然発生的に行われ、しだいに形式化されていったと考えられます。遊行の旅は、南は鹿児島の大隅八幡宮(現鹿児島神宮)から北は東北へと広範囲に及びました。
こうして苦難の多かった旅も、次第に多くの信者に恵まれ、各地で大きな反響を呼ぶようになりました。ある場所では「あまりの人の多さに、一遍上人は肩車で念仏札を配った」という記録も残っています。

●一遍上人の死後

各地を行脚し、庶民の信仰の対象となった一遍上人ですが、生涯で一冊の著書も残そうとはせず、ひたすら全国を遊行し「南無阿弥陀仏」の念仏札を人々に配る旅を続けました。亡くなる直前、所持していた経典を書写山円教寺の寺僧に渡し、その他の書物は『阿弥陀経』読みながら、焼き捨てたと伝えられています。正応2年(1289)8月23日、51年の生涯に幕を閉じました。

●聖絵の魅力

聖絵

真教は40歳の時一遍上人と出会い、その教えに帰依し以後その旅に同行した人物です。一遍上人の死後は「一遍聖絵」「遊行上人縁起絵」の編纂に尽力しました。
また、信徒訓戒の書である「道場誓文」を編むなど、一切の教本を残さなかった一遍に代わって、時衆二代目にして教団の基礎を作り上げた実務者でもありました。

「一遍聖絵」「遊行上人縁起絵」は絵によって一遍上人の生涯が解説された「伝記」です。全国各地の一遍上人ゆかりの地が描かれた、非常に興味深い内容になっています。この地区では江の島、龍口寺、片瀬地蔵堂が描かれた縁起絵もあります。

縁起絵

一遍上人は熊野三山で神託を得、踊り念仏を広める決意をしました。つまり「神仏習合」が時衆の大きなキーワードになります。聖絵の中にも伊勢神宮厳島神社を訪ねる場面が出てきます。聖絵を読みことで、初期時衆の世界観に触れることが出来ます。

また、全国の時宗の寺に写本が伝わっており、同じ内容を描いた絵巻でも作者、時代により表現が異なります。その比較もまた興味深いものがあります。個人的に感動したのは、尾張国萱津宿(現愛知県あま市)にて、在家人たちの夢に毘沙門天が出現したことを記し、甚目寺にて施食供養する絵巻です。ご飯を振舞われるたくさんの人々、美味しそうにかきこむ姿、配膳する人、給仕する僧などが細かく生き生きと描かれており、見ていて飽くことがありませんでした。

絵巻

現在よりも社会情勢が不安定だった中世で、庶民にも分かりやすく往生を説き、踊念仏で希望を与え続けた一遍上人。生涯を信仰の旅に捧げた姿は、宗教は違いますがイタリアで活躍したアッシジの聖フランチェスコを思い出させます。
踊念仏は時代を経て「盆踊り」となり、日本の伝統文化として現代まで受け継がれ、近年では海を越えて広く海外にも知られるところとなりました。藤沢市では「藤沢宿・遊行の盆」として、毎年夏に3日間にわたる盆踊りの一大イベントを開催しており、盆踊りの起源となった「踊り念仏」も披露されます。

遊行寺の宝物館では、「一遍聖絵」「遊行上人縁起絵」を見ることが出来ます。遊行寺の坂を登りながら、遥か中世に漂泊の旅を続けた一遍上人に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

遊行寺宝物館HP: http://yugyoji-museum.world.coocan.jp/tenran.htm

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